『聖☆ドリオンパーティー2021~年忘れ大忘年会\(^o^)/~』について

まだ2021年の話をします!!!(ドォォン)

 

何処かに辿り着きたいのではないんだなって改めて思った。此処に居続けたいということなんだと思う。でも、それは「此処に留まる」ということではなくて、「此処に居続けるために歩みを止めない」ということだと思っていて、「歩みを止めない」ために、私たちに必要だったのが『聖☆ドリオンパーティー2021~年忘れ大忘年会\(^o^)/~』の時間だったのだと思いました。

正直、どんな心持ちで居たらいいのか解らなくて、寒さに凍えながら会場に向かったのだけど、前半の楽しいパーティ感に少し安心もしたし、だけど本当にこのままで良いのかなって思ってもいて、でも私に出来る事なんて無くて、目の前の四人が今それで良いのなら良いのかなって思ったりもして、とりあえず何か一欠片を忘れながら笑っていました。

苦しくなったのはライブパートが始まった時で、一曲目はまだ良かったんですよね、だけど、やっぱり二曲目が始まったら見える景色に違和感がはっきりくっきりしてきて、心のザワザワを感じざるを得ず、言葉に出来なくて「アー」と心の中で呻いてた。

でも、3曲目くらいから「あれ」って、「なにか乗せてる」って感じて、そしたらまた別のざわざわで苦しくなって。私もそうだけど、目の前の4人も、まだ「ココにいたい」と思っているんだと感じたからで。でも、それでも4人は、「歩を進めたい」とも思っているんだと感じたからで。だから、4人の姿を見て勝手に苦しくなったのだけど、でも同時に、モヤモヤした何かを抱えていた私は、「ああ、ちゃんと前向かなきゃ」って思いました。

最後につむがれた4人の言葉は、歌に乗せたもの、そのものだったようにも思います。個人的には、リーダーが「瑠奈」と言った時が印象的だった。直前、ほんの一瞬だけ、本当に一瞬、力を込めたように見えて、「ああ、力の要ることなんだ」と思った。でもたぶん、言いたかったんじゃないかな、あの場で言わなきゃと思ったんじゃないかな。わからないけど……わたしには何もわからないけど、みんなの前で名前を呼ぶという行為そのものが必要だと思ったんじゃないかな……わからないけど、少なくともわたしには必要だった、それを聞くことが。

だから、わたしも改めて此処にいたいと思ったなっていう、なんか、そんな感じかな。わたしは小山さんの見る景色の一部になれたらと思ってきたけど、いつの間にかサンドリオンのことも愛おしくなってて、だから、その景色の一部にもなれたらなって。そういう気持ちを改めて感じた時間だったし、そのためには、わたしも歩みを止めてはいられないなあと感じました。

まだ心になにかは残ったままだけれど、それはそのままでもよくて、その分というか、これからはもっとささやかな幸せをたくさん書き留めて、何も変わることのない此処を抱きしめていきたいです。うん。

 

次こそは2022年の話するぞー!